はじめに | 『おみゃーさん、世界中をそんなに安うて、楽しそうに旅しとるそうだがや。一度、我々も一緒に連れてってくりゃー!』 そういわれて始めたのが、2004年9月総勢20名のユングフラウマラソンツアーが武藤ツアーの始まりでした。 私の海外マラソン旅のスタイルと言えば、バックパックを背負い、ユースホステルの2段ベッドの安宿などを転々と泊まり歩いて、得意の英会話を駆使して放浪の旅を続けるというスタイルでしたので、貧乏ツアーなら世界中どこへでも連れて行く自信がありました。それまでの経験でその時世界中で一番素晴らしい所はスイスだと思っていたので 『2段ベッドの安宿に泊まり、食事は自炊かユースホステルの食事を食べます。また連れて行ってもらうという考えではなく、自力本願、自己責任の精神で自分自身で考えて行動できるなら一緒に行きましょう。』 と答え、2004年に総勢20名でスイスに行き、世界で一番美しい、一番厳しいユングフラウマラソンを走った後、ヨーロッパアルプス3大名峰のアイガー、マッターホルン、モンブランを周遊し、山岳ホテルにも泊まりました。 参加の皆さんは、素晴らしかった!と大変感動され、口コミでその素晴らしさを聞いた他の走友たちから『私も連れて行ってチョー』ということで翌年2005年再び25名を連れて同じコースでスイスを巡りました。 それ以来、みなさんからは、次はどこ?いつ行くの?との矢の催促で、それ以来20年間、毎年のように武藤ツアーを行い、海外ツアーを楽しんできました。 私が呼びかけるツアーは、パッケージツアーのように豪華なホテルやグルメ、ブランドショッピング等はありませんが、現地の人たちと交流し、その土地の風土や習慣、文化、生活に直接触れる旅です。また、参加の皆さんが自ら誘導や会計、点呼などを担当し、全員チームワーク良く楽しい旅になるよう協力しています。 その思い出の武藤ツアー(翔峰エコツアー)を振り返ってみます。 その1 1, 2004年9月 ユングフラウマラソンツアー、アイガー、マッターホルン、モンブラン 2, 2004年12月 アメリカ、ホノルルマラソンツアー 3, 2005年3月 ローママラソンツアー、 イタリア、シチリア島、フィレンチェ、ベネチア 4, 2005年5月 ウイーンマラソンツアー、オーストリア、 5, 2005年9月 ユングフラウマラソンツアー、アイガー、マッターホルン、モンブラン 6, 2006年4月 ヨーロッパ一周ツアーパリマラソン、オランダ、ドイツ、チェコ、アムステルダム、プラハ、ミュンヘン その2 7, 2006年5月 ウイーンマラソンツアー オーストリア 8, 2007年1月 ニュージーランド、ミルフォードトラック54km 9, 2011年6月 ミッドナイトサンマラソン ツアー ノルエー、デンマーク、スエーデン、 10,2012年3月 ロサンゼルスマラソンツアー アメリカ、 11,2013年11月 ユーラシア大陸マラソンツアー トルコ、アラブ首長国連邦、アブダビ、ドバイ、 12,2014年12月 ホノルルマラソンツアー アメリカ・ホノルル、 その3 13,2015年12月 ホノルルマラソンツアー アメリカ、 14,2016年4月 ウイーンマラソンツアー オーストリア、 15,2016年12月 ホノルルマラソンツアー ホノルル、 その4 16,2017年5月 ロトルアマラソンツアー ニュージーランド、 17,2018年5月 プリトビッチュエマラソンツアー クロアチア、 18,2024年6月 インドネシア・ジョグジャカルタとバリ島ツアー |
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(2004年9月9日ー12日):ユングフラウ・アイガー散策の旅 インターラーケンY H 泊 インターラーケンオスト → グリンデルワルド → クライネシャイデック(マラソンゴール地点) → アイガークレッチャー(2 3 2 0 m) → アイガーヴァント(2 8 6 5 m) → アイスメーア(3 1 6 0 m)→ ユングフラウヨッホ(3 4 5 4 m ) → アイガークレッチャー → ハイキング約1 時間 → クライネシャイデック |
2004年9月11日(土)第12回スイス・ユングフラウマラソンに参加しました。このマラソンは世界一厳しい、世界一美しいコースを走るフルマラソンと聞いていましたが、まさにその通りでした。シカゴから来ていたスーザンに出会い、お互い健闘を誓いあいました。完走者5
人のレース結果のひと口コメントです。 ・薮田:5 , 1 5 , 2 3 富士登山競争より厳しい。これまで出1 番しんどい大会だった。 ・渡辺:6 , 1 7 , 5 5 一時はリタイアかとも考えた。大パノラマの山がぱっと開けたのは感動。 ・千田:6 , 2 2 , 5 0 若い女性のヒップに見とれ転んでひざに大怪我を負う。最高に厳しいレースだった。 ・國府:6 , 2 7 , 0 0 今回初めて37 k m で完走できないのではないかとの不安がよぎった。でもビールを2回飲んだ。 ・河合:6 , 3 0 , 0 0マッサージ6 - 7 回受けたが太もも、ふくらはぎ、両足の痙攣との戦いであった。 私は164 回目にして初めて、フルマラソンでのリタイアを経験しました。 |
12月12日、初めての海外マラソンをホノルルで走りたいというまみちゃんや、千田さん、犬山走友会の近藤さん、中本さんご夫妻たち7 人で、第32回ホノルル・マラソンに参加してきました。 ホノルルに着いた1 日目は、ゼッケンピックのあと、ワイキキビーチで存分に泳ぎ、2 日目はザ・バス(2 $)でハナウマ湾へ出かけ、湾内に泳ぐ魚たちと一緒に泳ぎ、さらにココ・ヘッド・サンディービーチパーク、シーライフ・パークを観光し、ブルーハワイの美しさ、自然豊かな海の美しさを満喫しました。 3 日目もザ・バス(2 $)でダウンタウンに行き、宮殿やビショップ美術館でハワイの歴史、文化、芸術などを学びました。4 日目もザ・バス(2 $)でパールハーバーに行き、真珠湾攻撃で沈没したアリゾナ記念館で日本と米国の悲しい時代の新しい歴史を学びました。 5 日目のレース当日の主役はまみちゃんの2 2 歳の長男、高太君でした。初フルマラソンの高太君をまみちゃんは必死でサポート、しかし1 6 k m のエイドの人ごみで見失うも、私は3 0 k m 地点で高太君に追いつき、大福餅を渡して激励、見事6 :1 6 :0 0 で完走しました。百人の人間がいればその生きる喜び、生きがいは百通り異なっていて当たり前なのに、現代の風潮として一律にレディーメードの安易な『生きがい』なるものを注入してもらいたがっている若者が多い中で、自らの意思で敢えてフルマラソン完走という厳しい目標にチャレンジし、しかも見事に達成した高太君に大いに拍手を送りたいものです。 近藤さんは4 :2 7 :0 0 、まみちゃんは4 :4 5 :0 0 、中本さんは4 :5 4 :3 0 、千田さんは4 :5 5 :2 2 、私は5 :2 2 :2 1 で1 7 0 回目の完走を果たすことができました。他に出会った人は、1 0 0 1 回目の小島さん、3 時間台で完走した戸島さん、水野さん、深尾真美ちゃんたちでした。 今回もスイスに続き、自分たちで行動する節約ツアーでしたが、来年も希望者を募り、ワイキキユースホステルに泊まる8 - 9 万円の5 泊7 日の格安ホノルルマラソンツアーを呼びかけたいと思います。 |
2005年3月13日(日)第11回ローマシティマラソンマラソンが行われ、我々日本人グループは、初フルマラソン
4 人を含む 20人が見事フルマラソンを完走、一人が 25kmを完走しました。レースは、コロッセオを出発し、ナヴォーナ広場、バチカン、ポポロ広場、スペイン広場、トレヴィの泉などローマ市内の名所旧跡を駆け巡るコースでまるで美術館の中を走るような素晴らしい経験をしました。 レース後はローマ市内、バチカン・サンピエトロ寺院、ナポリ、ポンペイ遺跡、シチリア島、フィレンツェ、ヴェネチィアなど世界遺産のイタリア各地を 14日間にわたって訪れ、春のイタリアを満喫しました。 去年9月のスイス・ユングフラウマラソンとスイスヨーロッパアルプスツアーに続く武籐エコツアーで、皆さん全員の協力で楽しく、自由気ままに旅を続けることができました。 次回の武籐エコツアーは 5 月 18 − 25 日のオーストリア・ウイーンマラソンツアーです。 No.566 池田克洋 フル 7 時間 12分 00秒 No.716 梅田修正 フル 5 時間 52分 30秒 No.717 梅田展子 フル 5 時間 52分 30秒 No.590 國府 靖 フル 7 時間 12分 00秒 No.515 迫田法子 フル 4 時間 14分 05秒 No.193 千田虎峰 フル 5 時間 44分 21秒 No.170 西川 昭 フル 3 時間 47分 18秒 No. 西川八重子 フル 5 時間 44 分 27秒 No.701 明星和夫 25k 3 時間 30 分 No. 明星 操 フル 7 時間 12 分 00秒 No.593 武藤 彰 フル 5 時間 47 分 39秒 No.711 山本貴美子 フル 5 時間 44 分 21秒 その他 7 名の参加、応援 5 名、合計 24名でした。 |
2005年5月22日(日)第22 回ウイーン国際シティマラソンマラソンが行われ、我々日本人グループは、初フルマラソン1人を含む10人が見事フルマラソンを完走、一人が32kmを完走しました。今年の参加者は21,382
人、その内フルマラソンは6,709 人(完走率78%)、ハーフマラソンは5,130、その他キッヅマラソンなどいくつかのカテゴリーがあります。公式の関門は5
時間30 分ですが、6 時間10 分くらいまではゴールを空けて待っていてくれました。 コースは世界遺産指定の市街地やきれいなウイーンの森の中を走る素晴らしい設定でした。 レース前には岐阜市との姉妹都市提携を結ぶウイーン市マイドリング区への表敬訪問や市民との交流もあり、国際親善を高めてきました。また世界遺産登録のシューンブルン宮殿やヴァッハウア渓谷などを訪れ春のウイーンを満喫しました。 帰途はクアラルンプールで12時間の観光ツアーを行い、中華街屋台での豪華な食事も楽しみました。このツアーは、格安航空券を入手し、宿泊はユースホステル(男女別、ドミトリー:相部屋2段ベッド4人)に宿泊して、費用を極力安くする節約ツアーで、ウイーンの文化、習慣、風土に直接触れ、ユースホステルに宿泊している海外の人たちとコミュニケーションをはかり友好を深め、酒と女性をこよなく愛す、自由で気ままな、手造りの個人旅行でした。 フル参加の1 1 名 フル百の4 名 No.590 國府 靖 フル 5 時間08 分05 秒 No.193 千田虎峰 フル 4 時間41 分21 秒 No.593 武藤 彰 フル 5 時間22 分12 秒 No.716 梅田修正 フル 5 時間54分12 秒 その他フル7 名、ハーフ2 名、合計13 名の参加でした |
2006年4月7日第30回パリマラソンで念願のフルマラソン 2 0 0 回を達成しました。健康のためと思ってつい軽い気持ちで走り始めて
2 1 年、本当に走り続けてきて良かったと実感しています。当日は天気もよく、涼しく
3 6 , 0 0 0 人のランナーたちとシャンゼリゼやセーヌ川、ブローニュの森など走り抜きました。 夜は近所のレストランで豪華な完走パーティー、多くの友人、ランナーのお蔭だと感謝の気持ちで一杯です。翌日からはメンバー 1 4 名でアムステルダム、ベルリン、プラハ、ミュンヘン、ノイシュバーンシュタイン城など春のヨーロッパ、世界遺産を巡る【酒と女性をこよなく愛し、自由で気ままな個人旅行】を満喫しました。次は 5 月 7 日ウイーンマラソンで 2 0 1 回目を走る予定です。 |