はじめに 1985年12月のホノルルマラソンが私の初めての海外の旅でした。その時人々が楽しそうに英語でしゃべっているのを見て英語の重要性に気が付き、帰国後すぐに英会話の勉強をスタートしました。毎朝5時半に起きマラソンのトレーニングをしながら、6時からのNHKラジオ英会話で聞いてたり、また羽島キリスト教会に通いロスアンゼルスから派遣されていた宣教師のランディと友達になり英会話教室で猛勉強しました。お陰で1年余りで英会話をマスター、1986年11月に第7回ニューヨークシティマラソンに行き、1988年4月にボストンマラソン、1989年4月にパリマラソンに行くなど毎年のように海外ひとり旅に行きました。

”『思い出のひとり旅 10選』 に書ききれなかったひとり旅を番外編としてレポートします。

番外編

1, 1986年11月1日   ニューヨークシティマラソンのひとり旅
2, 1988年4月18日   ボストンマラソンのひとり旅
3, 1989年4月30日   パリマラソンとスイスひとり旅
4, 1990年4月29日   マドリードマラソンとスペイン・バレンシアのひとり旅
5, 1994年4月30日   ロトルアマラソンとニュージーランドひとり旅
6, 1999年11月21日  タイ・バンコクマラソン
7, 2000年2月11日   第7回エジプトマラソン
8, 2000年6月11日   ブラジル・サンパウロ国際マラソン
9, 2001年2月7日    第4回南極マラソン
10,2001年10月28日  マリンコープスマラソン
11,2003年9月     メドックマラソン
12,2006年11月     ギリシャ・アテネマラソン
13,2007年8月     メキシコマラソン
14,2007年7月     タイパタヤマラソン
15,2007年6月     タイプーケットマラソン
16,2008年10月26日  2008年第27回フランクフルトマラソン
17,2010年6月27日   ミッドナイトサンマラソンと北極圏のひとり旅 
18,2011年3月      ロサンゼルスマラソン  l
19,2013年5月5日    ボルネオ・赤道マラソン  
20,2023年6月14日   バリ島・ミカと出会うひとり旅









 1986年11月1日 第7回ニューヨークシティマラソン




私の3回目のフルマラソンが第7回ニューヨークシティマラソンでした。
コースはニューヨークの5つの橋を全て渡るコースで、後半にマンハッタン島に入りゴールはセントラルパークです。
沿道の多くの応援のお陰で、タイムは4時間を切る3時間55分14秒で感動のゴールテープを切ることができました。
次はボストンマラソンを目指します。











































1987年4月18日 第92回ボストンマラソン

去年の'87篠山ABCマラソンで3時間27分26秒、第12回河口湖日刊スポーツマラソンで3時間24分11秒と、いずれもボストンマラソンの参加資格である3時間30分を切ることができ、晴れて正式に第92回ボストンマラソンに出場することになりました。







































1989年4月30日 第13回パリマラソン



昭和64年4月30日にフランス・パリで行われた第14回パリマラソンに出場し、3時間36分06秒というこれまでの海外マラソンでの自己ベスト記録で完走することができました。
これまでの海外マラソンと同じように自分で格安航空券をネットで買い、2段ベッド、ドミトリールーム(相部屋)のユースホステルに泊まる貧乏ひとり旅でした。
マラソンの翌日には、フランスの長新幹線TGVに乗ってスイスへ行きグリンデルワルドやユングフラウヨッホなどでアイガー北壁を眺めながらジョギングし、至福の時間を過ごしました。
































































1990年4月29日 第8回国際マドリードマラソン



1990年4月29日にスペイン・マドリードで行われた第8回国際マドリードマラソンに出場し、3時間44分54秒で完走することができました。これまでの海外マラソンと同じように自分で格安航空券をネットで買い、2段ベッド、ドミトリールーム(相部屋)のユースホステルに泊まる貧乏ひとり旅でした。

マラソンの翌日には、バルセロナやバレンシアに行き、サンフランシスコで知り合ったスペインの女性マリアの自宅を訪問し、再会を喜び合い1泊してきました。
さらにフランスのシャモニー、スイスのチェルマットに足を延ばしそれぞれ2泊し、
モンブランやマッターホルン、グランドジョラス、モンテローザなど春のヨーロッパを満喫してきました。


































































1994年4月30日第30回フレッチャーチャレンジマラソン




1994年4月30日のゴールデンウイークにニュージーランド・ロトルアで行われた第30回フレッチャーチャレンジマラソンに出場し、3時間55分51秒で完走することができました。これまでの海外マラソンと同じように自分で格安航空券をネットで買い、2段ベッド、ドミトリールーム(相部屋)のユースホステルに泊まる貧乏ひとり旅でした。

マラソンの翌日には、南島のクイーンズタウンやミルフォードサウンド、マウントクック北島の
クライストチャーチやロトルアなどニュージーランドの素晴らしい自然を満喫してきました。













































1999年11月21日第14回バンコク国際マラソン




1999年11月21日にタイ・バンコクで行われた第14回バンコク国際マラソンに出場し、4時間41分03秒で完走することができました。これまでの海外マラソンと同じように自分で格安航空券をネットで買い、2段ベッド、ドミトリールーム(相部屋)のユースホステルに泊まる貧乏ひとり旅でした。

マラソンの翌日には、
バンコク市内やパタヤなど南国情緒豊かなタイの風情に触れてきました。



























































2000年2月11日第7回エジプトカイロ国際マラソン




2000年2月11日にエジプト・カイロで行われた第7回エジプトカイロ国際マラソンに出場し、4時間11分49秒で完走することができました。フル百回楽走会と高砂楽走会の共同マラソンツアーでした。

マラソンの翌日には、
ギザの三大ピラミッドとスフィンクス、エジプト考古学博物館、ナイル川クルーズなどを楽しみました。
これで63回目のフルマラソン、5大陸フルマラソン完走となりました。





































2000年6月11日2000サンパウロ国際マラソン




2000年6月11日にブラジル・サンパウロで行われた2000サンパウロ国際マラソンに出場し、5時間10分51秒で完走することができました。これまでの海外マラソンと同じように自分で格安航空券をネットで買い、2段ベッド、ドミトリールーム(相部屋)のユースホステルに泊まる貧乏ひとり旅でした。

マラソンの翌日には、
サンパウロ市内の名所旧跡など南国情緒豊かなサンパウロの風情に触れてきました。
これで67回目のフルマラソン、6大陸フルマラソン完走となりました。


















































2001年2月7日第4回南極マラソン




2001年2月7日に南極で行われた第4回南極マラソンに出場し、4時間58分53秒で完走することができました。
この大会はボストンのトムが呼びかけた大会で南米アルゼンチンのウシュワイアに集合し、そこからソ連の客船オーロラ号に乗り2日間かけて世界一荒れるというドレーク海峡を経て南極大陸の到着しました。

マラソンの翌日には、
南極各地をボートでまわってペンギンと戯れたり温泉に浸かったりして南極生活を満喫しました。

今回、南極マラソンに集まった多くの海外の冒険ランナーたちとも出会い、彼らの気力、迫力、情熱、ユーモアなどがまるでちがうことを実感し、それにひきかえ、今の私は小さな平和、安逸な暮らしに慣れすぎているのではないかと、反省させられました。私自身、その小さな豊かさに慣れず、おぼれず、高い志、より大きな目標、チャレンジ、夢などの大切なものを失わず、これからも健康のため、生きがいを求めて前向きに生きるため、この世界7大陸フルマラソン制覇を糧にして、マラソン人生を生き続けていくつもりです。この気付きが、今回の南極マラソンの大きな収穫でした。


これで77回目のフルマラソン、日本人で2人目、世界で46人目の世界7大陸フルマラソン制覇を成し遂げることができました。







南極大陸マラソン




























































2001年10月28日第26回マリンコープスマラソン




2001年10月28日にアメリカ・ワシントンDCで行われた第26回マリンコープスマラソンに出場し、4時間44分59秒で完走することができました。これまでの海外マラソンと同じように自分で格安航空券をネットで買い、2段ベッド、ドミトリールーム(相部屋)のユースホステルに泊まる貧乏ひとり旅でした。

もともとこの大会はフル百回楽走会の定期総会を米国で開催し、翌日マリンコープスマラソンを走るべく入念に半年前から計画され会員たち数十名も参加申し込みし楽しみにしていた大会でした。しかし、突然2001同時多発テロが発生し、この計画は安全のため中止となりました。しかし、私はこのような悲惨な事件で打ちひしがれている多くの米国民を励ますために行くべきだと主張し誰の賛同も得られぬまま、一人でアメリカに向かい、アメリカの会員トムなどと一緒にマリンコープスマラソンを走り、米国民を励ましてきました。そして翌週のニューヨークシティマラソンも連続で走り米国民を励ましてきました。

439回も多くのフルマラソンを完走している私ですが思い出に残る大会の一つです。







































































2003年9月6日第19回メドックマラソン




2003年9月6日にフランス・メドックで行われた第19回メドックマラソンに出場し、6時間26分25秒で完走することができました。この大会はワインの産地として有名なフランス・南欧のボルドーで行われるワインマラソンでワイン飲み放題、ステーキや牡蠣食べ放題、そして必ず仮装て走る必要があるユニークな大会です。

マラソンの後は、
ボルドー地方やノルマンディ作戦で有名なモンサンミッシェル等の観光を楽しみました。

















































































第24回アテネ国際マラソン大会


写真集その1 写真集その2 写真集その3 写真集その4 写真集その5








2006年11月3日 - 8日、フル百回楽走会創立 2 0 周年記念・アテネマラソンツアーに参加しました。
紀元前 4 9 0 年、マラトンの地で無敵を誇るペルシャとの戦争が行われ、勝利したアテネの兵士が鎧、兜に身を固め 3 8 キロの道のりをマラトンからアテネまで駆け抜け、戦勝報告後に死に絶えたという故事により、マラソン競技の起源となりました。迫田さんは 7 0 0 回の世界記録達成、山本さんは 1 0 0 回達成、操ちゃんは涙の自己新ゴール、能瀬さんは自己新記録更新などめでたい記録が続出しました。
コースはだらだらした長い登りや下りが多く、そんなに風光明媚とも言えないコースでしたが、マラソン発祥の地を走ったというこだわり・満足感で一杯でした。
私は232回目のフルマラソンを5時間16分22秒で完走しました。

1 1月4日は快晴に恵まれ、アクロポリスの丘、パルティノン神殿などを観光し、マラソンコースの下見をしました。アクロポリスはポリス(都市国家)の中心となった要塞堅固な丘(アクロ=高い)のことで、ポリスの守護神を祀る神域でした。また、パルティノン神殿はアテナ女神を祀るためのドリース式の巨大な神殿です。材料は輝くばかりの白い大理石で、その荘重で典雅な雄姿には驚かされました。マラソンコースはマラトンをスタートし、アテネ市内に向かうワンウエイコースで、ゴールは近代オリンピックスタジアムです。
ゼッケンも無事受け取り、明日の全員の完走を祈念して盛大な前夜祭が中華料理店で行われ、夫々の思いを胸に明日にかける意気込みを披露しました。

マラソンの翌日、エーゲ海クルーズに出かけました。
エーゲ海サロニコス湾の 3 島(エギナ、ポロス、イドラ)を巡るクルーズです。
サロニコス湾は北側に山を背負っているため、強い北風にさらされることなく、冬でも波が静かで気温も温暖です。
今日も快晴に恵まれ絶好のクルーズ日和となりました。
エギナ島、ポロス島、イドラ島では夫々名所旧跡を辿ったり、お土産を買ったり楽しいひと時を過ごしました。
また、船内ではランチタイムやマジックショー、ダンスタイムなどがあり退屈しない船旅を楽しむことができました。















































2007年8月26日第 25回メキシコシティ国際マラソン



2007年8月26日、第 25回メキシコシティ国際マラソンを走りました。メキシコシティは海抜 2242mの高原都市でフル、ハーフで 12,000人その他 5km10kmなど含め 23,000人が走りました。暑さを避けるため朝7時にスタート、コースはアップダウンは少なく、メキシコシティの名所旧跡を巡る贅沢なマラソンですが、スタート後約4時間走った28km付近で早くも道路封鎖が始まり、以後は歩道を歩かざるを得ない状態となりました。残り 2時間で 14kmは 6時間制限内完走も十分見込めるペースですが、中には強制的に収容バスに乗せられたランナーもおり、収容バスに乗せようとする係員との戦いでもありました。
幸い地元メキシコシティの女性ランナーマローが大変親切にエスコートしてくれ、途中で一緒になった国府さんとともに 6 時間 23分 35秒で無事 234回目のゴールを果たすことができました。

メキシコマラソンの前後にはアステカ文明やマヤ文明で栄えた数々の世界遺産を訪れました。メキシコシティでは国立宮殿の壁画、アステカ帝国の中央神殿、メトロポリタンカテドラル、大隕石、グァダルーべ寺院など、シティ郊外ではティオティワカン遺跡(太陽のピラミッド、月のピラミッド、死者の道)、ユカタン半島の突端に位置するカンクンではマヤ文明の栄えた『チチェンイッツァー』を観光し、大神殿エルカスティージョの壮大さに圧倒されました。そして究極のビーチリゾート、カンクンのカリブ海では、イタリアから来たトップレスの若い美女と楽しい国際交流も果たし、マラソン以外でも感動の想い出を沢山作りました。
た。





第 2 5 回メキシコシティ国際マラソン

写真アルバム1 写真アルバム2 写真アルバム3 写真アルバム4 写真アルバム5























































2007年7月15 日2 0 0 7 年タイ・パタヤ国際マラソン



2007年7月1 5 日、2 0 0 7 年タイ・パタヤ国際マラソンを走りました。この大会は、タイのビーチでは最も老舗として賑わうパタヤビーチを走ります。手軽に楽しめる都市型のリゾートとして観光客に高い人気のあるビーチリゾートです。宿泊は、スタート・ゴールに近いホテル、Eastiny Place Hotel に泊まり、まだ暗い朝 4 時半にスタートしました。フルマラソンには 8 7 0 人、ハーフには 2 0 1 1 人、その他 1 0 . 5 k m、車椅子など併せて 6,599 人のランナーが制限時間フルマラソン 6 時間目指して走りました。日本人は高知県から来た方にお会いできました。スタートしてからしばらくは早朝のため暑くはありませんでしたが、日が昇るにつれ暑さ 3 7 ℃と湿度 7 0 % という過酷なでつらいレースとなりましたが、トロピカルな南国の美しい風景にも助けられ何とか無事 2 3 1 回目を完走することができました。トップランナーは殆どアフリカ勢でタイムも良いレベルの高い賞金レースでした。

パタヤはバンコク市内から南東に車で 2 時間程度の場所にあるビーチで、東海岸の宝石とも形容されますが、パタヤは街とビーチが直結しているのが何よりの魅力、ビーチ沿いにはホテルやショッピングエリア、レストラン、カフェが充実しており、夜にはビアバーやゴーゴーバーが俄然活気付く、夜遊びの充実したナイトリゾートタウンです。ビアバーのカウンターで 1 杯 5 0 バーツ(2 0 0 円)のビールを飲みながら女の子と交渉し気に入った彼女とデートするのです。
マラソン後はやはり夜の街、バンコクに移動し、王宮やカオサン通り、解剖学博物館、法医学博物館を見学、ホルマリン漬けになった多くの遺体を見学しました。また、台湾・台北にも 2 泊し 6 2 万
点もの収蔵品を誇る故宮博物館や台北市内の名所旧跡を訪れました。




2007 年タイ・パタヤマラソンを走る




































2007年6月17日第 2 回タイ・プーケット国際マラソン



2007年6月1 7日、第 2 回タイ・プーケット国際マラソンを走りました。この大会は、プーケットのほぼ中央に位置する約 5 k m の長い砂浜と透明度の高い海を持ち、計画的に作られた島随一の最も新しい高級リゾートエリア、バンタオビーチを走ります。スタート・ゴールに近いホテル、アモーラ・ビーチ・リゾートに宿泊、朝 5 時にスタートしました。フルマラソンには 8 0 0 人、ハーフ、1 0 k m 、5 k m など併せて3,000 人のランナーが制限時間 8 時間目指して走りました。日本人は S I C のツアーで 1 8 人ほどが来ており、また、自称エコマラソナーの西一(はじめ)さん(5 8 歳)も 7 :5 :2 8 で完走されました。スタートしてからしばらくは曇りでしたが、10km 過ぎからは土砂降りのスコールとなり、その後も雨が続きました。後半は雨も上がり暑さと湿度でつらいレースとなりましたが、トロピカルな南国の美しい風景にも助けられ何とか無事 2 2 8 回目を完走することができました。

大陸から象の鼻のように延びる“マレー半島”の西側の海岸線、美しいアンダマン海”に浮かぶ島、プーケットは周囲に大小 3 2 の島々を抱えており「アンダマン海の真珠」という別名を持つタイ最大の美しいトロピカルな南国の楽園のビーチリゾートです。昔、世界 7 大陸を放浪していたあの頃に戻り『酒と女をこよなく愛し、 自由で気ままな』一人旅を楽しんできました。ここでの優雅な過ごし方はちょっぴり豪華なホテルに滞在し、ホテルのプールや海岸のデッキチェァで寝そべったり、泳いだり、美女の裸を眺めたり、読書したり………といつもと違った非日常な暮らしをすることです。私もアモーラビーチリゾートホテルに 1 週間ほど滞在し非日常の貴重な体験をしてきました。来月も非日常の体験を求めてトロピカルなビーチリゾート、タイ・パタヤで一人旅を楽しんできます。





第 2 回タイ・プーケットマラソン プーケットマラソンを走る 南国のトロピカルな風景に助けられる






























































2008年10月26日第 27 回ドイツ・フランクフルトマラソン



2008年10月26日、第 27 回ドイツ・フランクフルトマラソンを走りました。フルには約 1 万人、リレーやその他をあわせ 1.5万人が走りました。マラソン当日は晴れ時々曇りで風もなく気温 4 度という絶好のコンディションに恵まれ、コースもフラットで走りやすくフル百のみなさんは好タイムでゴールされました。沿道には 30万人を越す大観衆が盛大な応援でランナーを励ましていました。
私はダウンタウンの名所旧跡を廻る贅沢なコースを写真を撮影しながら走り、途中では河合さんや国府さん、明星さんに抜かれ榎本さんとは抜きつ抜かれつ、お互い写真を取りながらの力走、今年の自己ベスト(4時間 54分 8秒)で 285回目をで完走することができました。夜は市内の中華料理レストランで盛大な完走パーティーを開き、お互いの健闘を祝福しました。

中 世 の 都 市 の 面 影 を 今 に 残 す お と ぎ の 国 ド イ ツ ・ ロ マ ン テ ィッ ク 街 道 古 城 街 道 を 行 く
フランクフルトマラソンの前後には中世の都市の面影を今なお色濃く残すドイツ南部の各都市を観光しました。マラソン前日はコースの下見を兼ねてドイツ一の経済都市フランクフルト市内を観光、マラソンの翌日は古城街道を通って大学の都市ハイデルベルグ、ロマンチック街道を通って中世のおとぎの国ローテンベルグを観光、宿泊しました。翌日は中世の面影を今に残すデュンケルスビュールに寄ってから、今回のロマンティック街道のフィナーレを飾るにふさわしい見所、白鳥の城ノイシュヴァンシュタイン城を観光、フュッセンに宿泊しました。最後にミュンヘンを観光、大ビアホールに入り地元の人々と楽しい交流をし、8 日間の素晴らしい体験をしました。




第 27 回 フ ラ ン ク フ ル ト マ ラ ソ ン
30 万 人 の 沿 道 の 大 観 衆 の 応 援 で 走 る



写真アルバム1 写真アルバム2 写真アルバム3

 写真アルバム4 写真アルバム5 写真アルバム5
















































2010年6月19日第21回トロムソ・ミッドナイトサンマラソン



健康のためというつい軽い気持ちで走り始めて35年、2010年6月19日、第21回北極圏、トロムソ・ミッドナイトサンマラソンで地球2周、8万キロを走破しました。この間、メガマラソンを340回完走したり、南極マラソンを含め世界7大陸のフルマラソンを完走、47都道府県の国盗りマラソンも達成しました。
マラソンレース以外にもマラニックやジャーニーランを楽しみ、日本三霊山(富士山、立山、白山)を海抜ゼロから頂上まで制覇、京都三条大橋から東京日本橋まで中山道69次、570kmを踏破、西国33霊場観音を満願達成する等思い出は尽きない。

この時期、北極圏トロムソでは24時間太陽は沈まず、白夜のもと、夜7時半にスタートし、真夜中にフルマラソン42.195kmを走る。
        酒と自然をこよなく愛し、自由で気ままな一人旅

マラソンの前後には、大自然の北極圏とスカンジナビァ3国(真夜中の太陽:ノルウェー、おとぎの国:デンマーク、ヴァイキングの国:スウェーデン)を自由、気ままに放浪しました。




北極圏トロムソと北欧3ヶ国のひとり旅



























































































































































2011年3月20日2011ロサンゼルスマラソン





2011年3月20日(日)にアメリカロサンゼルスで行われた2011ロサンゼルスマラソンに出場し、7時間8分36秒で完走することができました。

私は米国版フル百回楽走会である「50STATES+DCクラブ」の会員になっており、3月20日(日)のロサンゼルスマラソンを完走し、カリフォルニア州の国盗りを達成した。
ロサンゼルスは米国2番目の大都市で、約3万人のランナーが参加、ロサンゼルスドジャーズの本拠地、ドジャースタジアムを朝7時20分にスタートし、ダウンタウン、ハリウッド、ビバリーヒルズなどを通りサンタモニカビーチにゴールする素晴らしいワンウエイコースだ。
スタート前には300回完走の富山の小路さんとお互い健闘を誓い合い写真撮影して元気に走り出した。
前半は小雨模様であったが後半からすごい土砂降りの雨と強い風に苦しめられ、7時間8分36秒でやっとゴールすることができた。
ゴール後預けた荷物を引き取りに行った所、荷物は大会当局が管理しておらず、ランナーが自分で見つけて引き取る日本では考えられないシステムで、ゆるく縛ってあった荷物は中身が散乱、多くの人が見つけられなかった。
幸いにも私は殆ど奇跡的に荷物を見つけられたが、このような大会では荷物は預けない方が良いと思った。

レースの前には、以前羽島で英会話を習っていた友人のランディの自宅(オレンジ郡)に泊った。
彼には、空港への出迎えやゼッケンピックアップ、ダウンタウンやハリウッドの観光、マラソン当日の送りなどで大変世話になった。
前々夜、前夜には祝杯の前夜完走祈念パーツティーを開いてもらい、お店に来た人たちと一緒に米国版国盗りマラソンの話題で盛り上がった。ハリウッドの「トイ&コスチューム」では、スパイダーマンの衣装を購入、時々はこれを着て走ってみるつもりだ。マラソンの後、ランディーと別れてからは、「酒と女をこよなく愛し、自由で気ままな一人旅」を満喫し、サンタモニカビーチやベニスビーチなど西海岸の有名なビーチリゾートで過ごし、西海岸特有の美しい海岸線を散策、マラソンの疲れを癒した。

ロサンゼルスの次にサンフランシスコに移動し、フィッシャーマンワーフやチャイナタウン、ゴールデンゲートブリッジを観光したり、半日観光バスで市内観光したり、ケーブルカーに乗ったりして、春のサンフランシスコの名所旧跡を巡った。
また、脱出不可能と言われながら脱獄を企てたことで一躍有名になった、アルカポネなどの凶悪犯が収容されていた刑務所「アルカトラズ島ツアー」に参加した。
このツアーは人気が高く当日のチケットは購入不可とのことだったので、あらかじめネットで予約購入したが正解だった。
フィッシャーマンワーフでは、おいしいクラムチャウダーを食べたり、街角の似顔絵描きに似顔絵を描いてもらったりした。

今回もユースホステルに泊り自炊しての節約ツアーであったが、同室の外国人たちと交流を深めネイティブの英語を楽しんだ。た。















































































































































2013年ボルネオ赤道国際マラソンで400回目のフルマラソン完走を達成しました。

最初はみんなと一緒に走っていましたが、ランナーは若い人が多く、そのうちにだんだん離され、私はコースに不慣れだったので、基本的に海岸沿いの美しい、安全な単純コースを往復し、GPS付のガーミン110で距離を確認しながら無事42.195kmを6時間57分13秒で完走しました。

ユースホステルの受付だったDayang Arneyが400回完走を祝福してくれました。





2013年ボルネオ赤道国際マラソン











































































Dayang Arney











































































































2023年6月14日(水)、いよいよ【世界100ヶ国走り旅完結編】 インドネシアへの旅の始まりです。
ベトナムのホーチミン空港でトランスファーしジャカルタン、ジョグジャカルタ、バリ島と観光します。

8日目、6月21日(水)いよいよインドネシアでの最後の観光ツアー、バリ島1周のプライベートツアーの日です。
あらかじめ、運転手付きのレンタカーを予約済みで、バリ島を運転してガイドしてもらいますが、運転手は若い美人の女性でした。 名前はミカ(Micha)という方で、聡明でバリ島の観光知識にも深く、大変親切にガイドしてくれました。 階段の上り下りや段差のあるところでは手を引いて、やさしくエスコートしてくれました。 お互いすっかり意気投合し、今日一日仲良く過ごすことになりました。 最初はバリダンスの実演会場に行き、次はヒンズーの古刹のお寺で、そこを見てさらにTegenungan Waterfall 緑の景色を望むウブドの滝に行きました。 ちょうどお昼になったので、ビールと卵焼き焼きそばを注文、ミカにはココナッツジュースを注文してあげました。 午後はさらに古刹のお寺を見学、そこから有名なライステラス(棚田)のTegalalang Rice Terrace ウブドの美しい棚田で楽しく過ごしました。そして、Elephant Cave 象の洞窟の寺院では岩壁の彫刻で有名で、さらにお祈りのため大勢の信者がプールでお祈りをささげていました。 そして時計を見るともう午後5時過ぎでツアー時間10時間が過ぎようとしています。 まだまだミカと一緒にいたかったのですが明日の帰国の準備等もあるので、ここを最後にホテルに帰ることにしました。 明日はミカにホテルから空港まで送ってもらうことにしました。

今日丸一日、朝から夕方まで10時間以上運転、観光案内など、ミカ、本当にありがとうございました。
ひとり旅は自由で気ままで自分の好きなように行動でき、たまには今日のように若い美人と一緒に行動することもできるので、ひとり旅はやめることができません。
また来年必ずバリ島に来るからと約束してミカと別れ帰国しました。す





100ヶ国目インドネシアのひとり旅






























































ミカに初めて会いました













































































ミカは空港まで見送りに来てくれました。





来年も来るからねと約束して別れました。

















   



こだわりの記録10冠


国際的友情を育んだ世界の美女たち


思い出の武藤ツアー その1


思い出の武藤ツアー その2


思い出の武藤ツアー その3


思い出の武藤ツアー その4


私の宝物10選






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